Matilda DewenCanon DUSTOFF Irene

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やでやで(やれやれの意味です)...1

私はヘネメゲレ課(仮称)の課長となり、自己催眠等の努力だけでは足りずレクサプロとイフェクサーも用いながら10年継続させてきましたが、この度課は解体となりました。解体後はGHQ(仮称)が何がしかするそうです。元々U(仮称)さんが適応障害になって呼んでも硬直して返答が無い。それで私に白刃の矢が立ったのがきっかけです。Uさんは奥さんは鬱病の経験があり、親戚縁者の理解もあり、また私が潰れる事でお仕事の負荷もぐんと減り心に余裕が出来たのかとうの昔に寛解しています。

Uさんは懲りていません。認知行動でいう所の認知の歪みを治していません。つまり寛解して間もなく徹頭徹尾完璧根性論を復活させました。適応障害は根性で直した(敢えて治したとは記しません)と私に発言しています。

故にUさんは私に対して手当てではなく銃剣(ものの例えです)でブスブス刺すのです。一言が命取りのように。

Uさんは適応障害の時に症状の辛さを思い知っている筈です。そういう発言を適応障害時代にしています。生と死の価値観が反転する辛さを。

元々昨年からお話はあったのです。Uさん発案で。俺もお前も時代遅れだから隠居する宣言。「俺もお前も」という所にも認知の歪みがあるのです。私は徹頭徹尾完璧根性論なんて持っていません。結果的に解体され組織はGHQに変わり私は解任となりましたが。

私は自分がスパルタされた苦い経験がありますので、部下にはそのエグさを味あわせない。私が倒れてもいいように自分で考え自分で動くように部下を10年で育てました。

つまり私がいなくても円滑に自ら考え組織は動く。この自ら考え組織が動くには組織内の人間関係を円滑にする事が必要です。私はムードメーカー、人間関係の心の調整に主眼を置きました。私がいなくなっても交代する人は苦労しない。これは私が不要という意味を指します。余程の決断の時は私は躊躇なく動きました。スパルタで焼きを散々入れられた私にはビビるという感情はありません(笑)。ちゃんと組織がこれはマズいと考え判断すると部下が私に報告に来るのです。これって結構難しく、人間関係とチームワークが上手く機能していないと誰かが報告するだろうとか、その報告は私のする事ではないとか放置されるのです。

故に私はかなり壊れてポンコツでいても、必要最低限且つ必須で致命的なもののみに集中し、負荷を軽減させる事が出来たのです。

Uさんが指揮を取るメンバーは常にUさんの指示待ちです。Uさんは全てに目を通し一字一句メンバーにダメ出しをしてコントロールするタイプ。故にメンバーは常にUさんが何か知らんけど何とかするのだろうと思考します。それ以外の思考は出来ないのです。Uさんがガチガチにレールを敷設するので。

Uさんは整形外科的問題を抱えています。数ヶ月の手術が控えています。これはUさん自身許されるものと確信しています。実際許されるのですが。その際、4回は繰り返してGHQにこう告げました。「私は精神疾患的問題は無い」と。私とは違う事を強調していました。

閑話休題

私はUさんとは心の距離を取り適度に心でグッバイしています。

UさんはいまだにUさんなので私に苛立っています。

 

やでやで...。

 

 

SNSは発信者のものか、受信者の位置付けとは

最初、SNSを始めたきっかけは、皆様どうしているんだろう?

なので、私は発信者ならぬ受信者です。

ただ、発信者からしてみると色々な思いを持って発信されています。

いいねを沢山押す事をネットスラングでファボ爆と言います。

これを迷惑と感じる方は沢山いらっしゃいます。

リツイートも同じで、拡散を希望されない方もいらっしゃいます。

リプライ(返信)、引用ツイートを好まない方もいらっしゃいます。

何が言いたいかというと、人の発信に何かしら反応する発信をどういう形であれ行えば、その方の発信にあやをつける(東北の方言で因縁をつける)事になるのです。

ここまで深く考える方がいるか否かは別として、私自身「受信者」としてSNSを始めた故に考えるのです。

人の発信にどういう形であれあやをつけるくらいなら、自ら発信すべきが本来の姿であろうと。

そういう意味で考えると、SNSとは発信者のものだと考えるのです。

 

心の空洞すっからかん

これはSNSの相互様から頂いた言葉です。

私は最初意味がわからず色々な方にたずねてみました。

でも私なりに今は意味が分かるような気がします。

相互様の場合の心の空洞は愛着に関して述べられたものでした。

私にも空洞があります。累積疲労を長年重ねた分、累積疲労による空洞がありました。

文字通りすっからかんです。

これをとにもかくにも埋めようとすると、悪い結果が待ち受けています。

どう取り扱うかはよく考える必要があるのです。

 

対ストレス対処法

私は大変なストレス環境下におかれていました。

対ストレス性については1996年頃から模索してきました。

最初はスポーツ選手のメンタルコントロール書籍をかなり読みましたが、私にとっては役にたちませんでした。

1998年頃から自律神経コントロール法、専門用語では自己催眠法といいます。腹式呼吸を通じて下意識をコントロールする。単なる自律神経コントロールより一歩進んだものです。これは大きく役に立ち、現在も行っています。

意識には、皆さん普通に持っている意識と下意識が存在する。頭ではわかっていても(意識)、はらわた煮えくりかえる。このはらわた煮えくりかえるが下意識に相当します。

意識はころころかえる事が出来ます(以下上意識と称します)が、はらわた煮えくりかえる(以下下意識と称します)はなかなか収まりません。

上意識と違い下意識は動きはゆっくりでエネルギーは非常に大きなものでそう簡単にコントロール出来ません。自己催眠とは自律神経コントロールの応用で、この下意識にアプローチしてストレスをコントロールする方法です。

私のストレス環境は更に過酷なものになっていきました。

次に私が探したのはもっと困難な状況におけるストレスコントロール法です。

ここで皆様から見て突飛な論理飛躍となるのですが、最も過酷な環境下を想像した時に思いついたのはコンバットストレス(ミリタリー環境下におけるストレスコントロール法)です。

2005年に米陸軍少佐ロンダコーナム氏(女性です)がサイコロジカルフィットネスを提唱しているのを新聞記事で見つけたのです。

コーナム氏は湾岸戦争(1990年)で乗っていたヘリが撃墜され8名中5名即死。コーナム氏自身は右腕骨折。旧日本のバンザイ突撃の文化はありません。コーナム氏は捕虜という選択肢を選び、拷問を受けながらも米国に帰還。一躍ヒーローとなりました。

2005年といえば米国はイラクアフガニスタン戦争の泥沼状態にあり帰還兵のPTSDが大きな問題となっていた時期です。

コーナム氏が提唱したサイコロジカルフィットネスの詳細は不明ですが、サイコロジカルフィットネスを文字づらだけで解釈すると精神強化です。コーナム氏は前線に兵士を戻すことが目的と新聞記事には記載されていたので当時の日本の精神科医からは無茶、不可能とブログ等でコメントが寄せられていました。私も同感でした。

さて、時は流れサイコロジカルフィットネスはコンプレヘンシブ・レジリエンス(包括的回復)にプログラムは変化しています。

これは前線の兵士のみならず、故郷で待つ家族や友人、関係者皆の心のケアが必要というものです。

閑話休題、退役したコーナム氏の講演で彼女が言いたい事がYouTubeにありました。

言いたい事は、パニックや絶望に陥らずに冷静に考えてごらん。冷静に考えたら何かしら打開策となるヒントは転がっているよ。

と言うものです。

さて、もう一つ、全然別に私が見つけた書籍で自殺未遂という本があります。

タイトルはまたまた突飛です。

皆様「中庸」という言葉をご存知と思います。何事も適度が宜しい。

こんなこと誰も知っていて、できりゃあ苦労しないよ!という言葉です。

でも書籍では中庸という言葉を言い換えています。

「曖昧さに耐える力って大切だよ」

これだとピンと来る方もいらっしゃると思うのです。

 

 

ダダイズム

第一次大戦の惨劇からダダイズムは発祥します。それまでを否定してみるのです。それじゃあ先が無いとシュールに移行するのですが時代は第二次大戦と化すのです。
私はシュールに移行する前のダダイズムが好きです。
中原中也の芸術覚え書き論で述べてあります。
これが手だ。手という名詞を認識する前に感じている手。この手が深く感じられていられれば良い。
笑う行為の一歩手間、口元がちょっと動きかける位の瞬間が芸術なのです。
これが好き故に私はダダイズムに留まり続けるのです。